「信長は歴史に名を残したが、朝倉氏は遺跡を残した」とまで言われるほど、朝倉氏遺跡の持つ意義は大きいが、復原施設では町屋・商家とともに武家屋敷も復原されている。
一乗谷は一帯が遺跡で、現在は田畑豊かな農村風景となっているが、発掘からは
完全な城下町(都市)で田畑と推定される遺構は全く見つかっておらず、狭い谷合一杯に屋敷地が広がっている。
朝倉家当主、朝倉景鏡(大野郡司)、斉藤龍興(前美濃国主で信長に追われ一乗谷に亡命)の館は特別で、広大な屋敷地に濠をめぐらしている。この他、一乗谷には朝倉氏一族、武家、僧侶・神官、商人、職人など様々な人々が居住していたが、武家屋敷
は道路に面し、奥は庭として山裾に延び、周りには土塁をめぐらしているのが特徴である。
武家屋敷間の境が簡単な土塁で仕切られているのに対して、道路に面した土塁は巨石を配した立派なもので、屋敷ごとに異なったものとなっている。
▼復原武家屋敷道路 |
▼武家屋敷跡に残る枯山水庭 |
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▼復原武家屋敷門 |
▼復原武家屋敷内部 |
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▼復原武家屋敷台所 |
▼復原武家屋敷離れ(茶室) |
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▼復原武家屋敷敷地内(正面厠) |
▼道路から見た復原武家屋敷 |
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