越前若狭歴史回廊

     
   

西光寺(福井市左内町)
真盛上人開祖で柴田勝家の菩提寺


 天台宗真盛派の祖であり真盛は、室町時代伊勢に生まれ、比叡山で20余年修行し伝灯法師の位に進んだ天台宗の高僧で、のち坂本に西教寺を復興して説戒念仏の道場とし、各地で布教した。
 戦国朝倉氏の三代目当主朝倉貞景の帰依により、一乗谷の周辺には今も石塔・石仏が多数残されているが、それらは西山光照寺、盛源寺、最勝寺、法蔵寺、極楽寺など天台真盛派の寺院のあったところに集中している。

 その越前の布教の中心となったのが吉田郡岡保次郎丸に建立された西光寺である。
 西光寺は府中の引接寺と共に真盛派の中心となり、大いに栄えたとされるが、朝倉氏滅亡後の天正3年、柴田勝家の北ノ庄(福井)築城に際し、北ノ庄に移転させられ、現在も福井市の左内町に在る。なお福井市次郎丸の山麓には今も西光寺跡が残されている。

 天正11(1583)年4月、賤ヶ岳の戦いで秀吉に破れたに柴田勝家は越前に敗走し北ノ庄城に篭城するも、23日、足羽山(天魔ヶ池)に着陣した秀吉軍の攻撃が開始されると、その日のうちに本丸を残すのみとなり、翌24日夕刻、勝家は妻の信長妹お市を刺した後、自刃した。

 現在では柴田勝家の菩提所として著名で、境内には勝家、お市の墓がある。
 真盛上人や朝倉氏関係では上人の供養塔や朝倉貞景寄進と伝わる梵鐘などが残されている。

地図はここです

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