越前若狭歴史回廊

 朝倉義景亭御成記・(出仕武将)


 四月二十一日、予定より少し遅れて朝倉義景屋形において元服の儀式を行った足利義昭は、五月十七日朝倉屋形への御成りとなった。
 御成りの道中は、朝倉家臣によって厳重に辻固めが行われ、その役は主に朝倉家の内衆が務めたが、一部氏家・真柄・北村・千秋など国衆も勤めている。
 足利義昭が朝倉屋形に到着すると、寝殿(主殿)でまず式三献が供せられ義景が御礼に参上した。
 その後、会所(常の御殿)に足利義昭と関白二条晴良・仁木義政・朝倉義景の四人が入り、饗応が始まった。酒肴は初献より十七献まで続けられ、献を重ねるたびごとにいろいろの進物が献ぜられた。三献ののち、朝倉同名衆が御礼に伺候し、四献ののちに御能が興行され、十七献が済んだのち、朝倉内衆のうちの年寄衆が御礼に伺候した。

このお成りに出仕した朝倉方の武将は以下のとおりである。
 

朝倉同名衆并年寄衆御礼申次第

(朝倉義景亭御成記 内閣文庫蔵)

式部太輔景鏡 孫三郎景健 次郎左衛門尉景尚
修理進 孫六景茂 修理亮景嘉 右馬助景富
次郎右衛門尉景種 右京進 小三郎景堅
向駿河守景乙 三反崎虎松 権守 掃部助 ○次第
出雲守景亮 溝江大炊允景家 藤三景嘉
溝江三郎右衛門尉 左近允景満

(年寄衆)
前波藤右衛門尉景当 魚住 桜井 青木隼人佐景忠
栂野方鶴 詫美 山崎長門守吉家

(御手長)
掃部助 三反崎三郎右衛門尉景佳 左近允
三反崎三郎兵衛尉 桜井新左衛門景道 魚住彦三郎

(御部屋衆ノ相伴)
朝倉次郎右衛門尉 同出雲守

(御走衆ノ相伴)
前波藤右衛門尉

(詰衆・右筆方・同朋衆ノ相伴)
詫美越後守景徳 山崎長門守

(御小者衆相伴)
河合安芸守

(中門役)
大月治部丞 窪田将監

(御門役)
山田六郎左衛門尉 九里十郎左衛門尉

(裏ノ御門)
諏訪神左衛門尉 近藤三郎兵衛尉

(楽屋奉行)
斎藤民部丞

(座敷奉行)
鳥居兵庫助 太月三郎左衛門尉 服部兵部丞 中村五
郎右衛門尉 福岡次郎右衛門尉 三輪二郎右衛門尉
小林備中守 堤左京亮 山崎七郎左衛門尉

(辻固ノ人数)
魚住備後守景固 桜井代六郎右衛門尉 山崎小五郎
河合虎松 富田民部丞 福岡聟千代 小林三郎次郎
堀平右衛門尉 氏家左近将監 真柄備中守
小林平左衛門尉 真柄左馬助 青木隼人佐
千秋因幡守 千秋左京亮 瓜生源四郎
三輪二郎右衛門尉 小林備中守 佐々布玄林坊
杉若藤左衛門尉

以 上


 

 

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