越前若狭歴史回廊

 朝倉家之拾七ヶ条


 「朝倉英林壁書」「朝倉孝景(敏景)17ヶ条」「孝景条々」などで知られる「朝倉家之拾七ヶ条」、戦国家法(分国法)として教科書にも登場 し、評価も高い。朝倉氏に伝わったことは事実であるが、書かれている内容からみると三代貞景以降の治世が想定される。

 孝景時代にはもちろん第1条にでてくる「宿老」など存在しないし、まだ越前平定の渦中で、面積でみれば甲斐氏を上回っているとはいえず、有力武将を確保した拠点に配置することはあっても、間違っても15条のように一乗谷に置いたりはしないだろう。
 2条の「奉行人 」制度もないし、3条にいったては天下は静謐どころか、応仁・文明の大乱、大荒れの最中である。芸能にも触れているが、これらも三代貞景以降の話である。
 少し読むと、孝景の時代とは合わず、「宿老に振り回され、繁栄を謳歌している一乗谷当主」への痛烈な批判、警告ともとれる。

 朝倉氏の同時代の資料には全く登場しないこの資料。 もちろん、4条や13条のように孝景らしい家訓もあり、全体では、戦国大名家の家法として充分意義があり、誰が何の目的で書き記し、どのように朝倉家に伝わったのか、興味の持たれるところだ。
 孝景云々は誤解を与えかねないので、朝倉家に伝わった拾七条という意味で、最も古い資料のとおり、「朝倉家之拾七ヶ条」としておいた。

 ここでは前書きがついている「松平文庫本」を底本に、一部語句に手を加えている。

 

 

 朝倉英林入道子孫への一かき、ある夜朝倉太郎左衛門尉物かたりいたし候ける、あらあら思ひ出し候、近代の名人に候之間、然るへきや又悪しかるへきや、愚意わきまへかたく候、備御一覧其意をゑられ候へく候

一、於朝倉之家宿老を定むべからす、其身の器用忠節によるべく候

一、代々持来候などとて、無器用の人に団扇は並びに奉行職を預けられましく候

一、天下静謐たりといふとも、遠近の国に目付けをおきて、其国のていたらくを聞候ハん事専一候

一、名作の刀、さのみこのまれまじく候、其ゆへは、万匹の太刀を持ちたりとも、百匹の槍百丁には勝たれまじく候、万匹をもつて百匹の槍を百丁求め、百人にもたせ候はば、一方は防ぐべく候

一、京都より四座の猿楽細々呼下し、見物このまれまじく候、其の値を国の猿楽のうちの器用ならんを上らせ、仕舞をも習はせられ候はば、後代まて然るべくか

一、城内において夜能かなふまじく候

一、侍いの役なるとて、伊達・白川へ使者をたてよき馬鷹もとめられまじく候、自然他所より到来候はば尤に候、それも三ケ年すきは、他家へつかわせられべく候、長もちすれは後悔出来に候

一、朝倉名字中をはしめ、おのおの年始の出仕の時上着布子なるべく候、並びに各の同名定紋をつけさせられべく候、分限のあるとて、衣装を結構せられ候はば、国の端々のさふらい色を好み、ふきそゝきたる所へ此ていにて出にくきなどとて、嘘病をかまへ、一年出す二年出仕いたさすば、後々は朝倉の前へ伺候のものすくなかるへく候

一、其身のなり見にくゝ候とも、健気ならんものには情可有之候、又臆病なれともゆふ儀をしたてよきは、供使いの用にたち候、両方かけたらんは所領たうなに候か

一、無奉公のものと奉公のともから、おなしくあひしらはれ候ては、奉公の人いかていさみあるへく候

一、さのみ事かけ候はすは、他国のらう人なとにゆう筆させられましく候

一、僧俗ともに能芸一手あらんもの他家へこされましく候、但身の能をのみ本として、無奉公ならんともからは曲なかるべく候

一、勝べき合戦とるべき城攻め等の時、吉日をえらひ方角をしらべ時日を逃す事口惜候、如何によき日なるとて大風に舟を出し、大勢にひとりむかはば、其曲あるべからす候、あく日あく方なりとも見合により、しよ神しよ仏・八幡・まりし天に別してせいせひをいたし、信心をもつて戦われ候はば、勝利をゑられべく候

一、年中に三ケ度ばかり器用正直ならんものに申付、国をめくらせ、土民百姓の唱えをきゝ、其さたをあらためられべく候、少々かたちを引かへ、自身もしかるべく候

一、朝倉か館の外、国のうちに城郭をかまへさせまじく候、惣別分限あらんもの一乗の谷へこされ、其郷其村には代官百姓等はかり置かれべく候

一、伽藍仏閣並びにまちやとう通られん時は、少々馬をとどめ、見にくきをば見にくさと云、よきをばよきといはれ候はば、いたらぬ者なとは御ことばをかかりたるなとゝて、悪しきをば直し、よきをば猶たしなむべく候、さうさをいれす、国を見事にもちなすも心ひとつによるへく候

一、諸沙汰直奏の時、理非すこしもまげられましく候、若役人わたくしをいたすのよし聞およはれ候はば、同とかにかたく申付られべく候、諸事うつろをきんこうにさたいたし候へば、他国のあくとう等いかやうにあつかいたるも苦しからず候、みたりかはしき所としられ候へは、他家よりてをいるゝものにて候、ある高僧の物かたりせられけるは、人の主人は不動・愛染のことくなるへし、其ゆへは不動のけんをひつさけ、愛染の弓やをもたれたる事、全突くにあらず射るにあらず、悪魔降伏のためにして、うちには慈悲ちんちうなり、人のあるしもよきをばほめ、あしきをば退治し、理非善悪くをただしくわけへきものなり、是をそ慈悲のせつしやうとは申候ハんすれ、たとひ賢人聖人の語をまなひ、諸文を学したりとも心へんくつにてはしかるへからす候、論語なとに君子おもからさる時ハ威なしなどとあるを見て、ひとへにおもき計と心へてはあしかるべく候、おもかるへきかろかるへきも時宜時刻によつて其ふるまい肝要候、この条々大方におもわれては益なく候、入道一こはん身にて不思議に国をとるより以来、昼夜目をつなかすくふういたし、ある時は諸国の名人をあつめ、其かたるを耳にはさみ、いまにかくのことくに候、あいかまへて子孫において此条々書をまもられ、まりし天・八まんの御おしへとおもはれ候はば、かつくも朝倉の名字あひつづくべく候、末々において我がままにふるまはれ候はば、たしかにこうくわい可有之者也

      今川了俊哥
子をおもふをやの心のまことあらは
 いさむるみちに まよはさらめや

 

 

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